2010年02月27日

ヘルシンキ。

<ヘルシンキ大聖堂>
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 ヘルシンキには、19時半過ぎに到着。。
 気温の差はバルト3国といたって変わらず、とにかく寒い。

 フェリーターミナルからヘルシンキ中央駅までバスで移動。
 バルト3国とは打って変って近代的なビルが立ち並ぶ大都会だった。

<ヘルシンキ中央駅前の様子>
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 その日の目星を付けている宿まで行くトラムがどこにあるか分からず駅の市街図の表示板の前で、しどろもどろしていたら、一人の若い女性が「どうしましたか?」と声を掛けてくれた。。旅に出て以来こんな事はほとんど初めてだったので、その優しさに感動・・・。
 トラム乗り場を教えてもらった。。
 次にトラム乗り場ではどちらのホームから乗ればいいのかを迷っていたら、また別の若い女性が「どうしましたか?」と声を掛けてくれた。。

 え、この町どうなってるんだ・・・。

 実に5分以内に2人の方から親切なお声掛けを頂いたのだ。。
 本当にその親切な御2人にはただただ「感謝」だった。

 結局その日泊まるはずだったホステルも満員で入れなかった。困っていると、そのホステルの受付の方は親切に別のホステルとその行き方を丁寧に教えてくれた。おまけにとても愛想が良く、きっちりとした接客だった。

 別の日に駅のツーリストインフォメーションに飛行場までの行き方を聞こうと向かった。
 正直このツーリストインフォメーションというやつはマップをくれる以外はあまり期待できない。。今まで通ってきた国々ではやっつけ仕事のように必要最低限の事を伝えれば、あとはテキトーな対応だったし、時にはその情報は必要最低限を満たしていない場合もある。
 だが、ヘルシンキでは度肝を抜かれた。
 ツーリストインフォメーションのスタッフは、その丁寧な接客や確かな情報はもとより、なんと日本語が話せるのだ・・・。しかも敬語。ま、スタッフによると思うのだが、そのときにそこにいたスタッフはとても若い(多分18から22,3歳ぐらいの・・・)女性だった。。
 難しい単語となると少し理解できなくなるらしいのだが、僕が話す上では、全く不自由なかった。。

 これら全てが作用してか、ヘルシンキは僕にとって、とても「親切な町」という印象が強い。。
 というよりも、今まで通ってきた東欧の国々の人々が少し冷徹な対応が多かったために余計にそう思うだけかもしれないが・・・。
 とにかくそういう意味ではヘルシンキはとても良い町だった。

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 久しぶりに1日丸々と町の観光に充てられる。。
 あてもなく町中のあちこちをぶらぶらした。
 特に観光名所をまわるわけでもなく・・・。

<中心街の様子>
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 北欧は物価が高い。。
 確かそのとき1ユーロが135円ぐらいだったかな。。
 宿は1泊17.5ユーロ、インターネット1時間8ユーロ、中華ファーストフード店での晩飯8ユーロ。。とにかく何をやろうとも1000円前後は掛かってしまう。市内を移動するための足であるトラム。。この安いはずの公共交通機関でも一回乗るたびに2.5ユーロ掛かってしまう。

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 でも不思議なもんで、国の物価に合わせて、自分の金銭感覚も変わるのだ。・・・というより慣れてしまう。インドでの1日分の生活費を、平気で一食分のお金として使ってしまうこともあった。。インドでは10円、20円で、あれほどリキシャのおっちゃんとケンカしたのに・・・。
 慣れとは怖いものだ。

<フィンランド名物(??)ムーミンショップ>
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 12月23日そんなヘルシンキともお別れし、なんとかクリスマス前に滑り込むようにしてニューヨークへと渡る。。
 マンハッタンの摩天楼に想いを馳せた。

タグ:世界一周
posted by SAMURAIちゃん at 11:43| Comment(0) | 北欧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月23日

弾丸トラベラー<バルト3国編>

 ワルシャワを23時に出発したバスは一路リトアニアの首都「ビリニュス」へと向かった。
 ビリニュスには翌日の7時50分に到着。

<ビリニュス中心部の広場>
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 駅に荷物を預けると、その日のうちに次の国へ行けるよう、さっそくバスチケットの手配をした。
 そう、このバルト3国を2泊3日で抜けねばならず、その日は次の国「ラトビア」の首都「リガ」へと行き、そこで宿をとるつもりだった。

 バス出発までの10時間をビリニュス市街散策に充てた。
 とても小さな町だった。

 現在の僕の寒さの多くの原因を担っている、靴・・・。
 正直この靴の生地では、この寒さはしのげなくなっていた。数ヶ所穴も空いているし・・・。
 中心部のファッションビルにスポーツショップがあったので、覘いてみると、クリスマスセールをやっていた。。
 迷わず、新品の靴をゲット。。
 今まで僕の足元を守ってくれていたVans君よ・・・ありがとう。そういいながら今まで履いていた靴は町のゴミ箱へ葬ってしまった。。

<プーマの靴(5000円也)>
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 新品の靴で歩く・・・。いや、足元が暖かくなるだけで、こんなにも快適さが違うのかと、感心してしまった。。


 市街散策を終え、18時30分に出るバスに乗り、今度はラトビアの首都「リガ」へと向かった。
 リガには22時25分着。。
 着いたその日はネットであらかじめ決めておいた。宿へと直行。

 翌日は同じように次の国「エストニア」の首都「タリン」へのバスチケットを手配後、市街散策をした。。

<自由記念碑、リガにて・・・>
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 旧市街はビリニュスよりも情緒のある町だった。
 町の近くには大きな川があり、驚くことにその川一面が真っ白なのだ。。
 凍結?!
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 一通り歩き通して、安かったので、最後に手袋購入。。
 これで防寒対策も一通り整った。
<偽者の雪です・・・>
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 リガを15時30分に出るというバスに乗り、お次はバルト3国最後の国「エストニア」の首都「タリン」へと向かった。。
 タリンには20時に到着。。
 その日は旧市街に構える宿に宿泊した。。

 そして次の日は、ついにこの旅始まって以来の初めての航海による移動。。
 エストニアのタリンからフィンランドのヘルシンキまではフェリーが出ているのだ。
 翌日の朝さっそくフェリー乗り場へ行き、フェリーチケット購入。。
 豪華客船を想像すると、とてもワクワクした。。

 チケット手配を終え、17時のフェリーの時間まではタリン市街散策をした。。

<タリンの町の様子>
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 この町はビリニュスやリガと比べて、また一段と情緒あふれる町で、旧市街は城壁に囲まれたとても可愛らしい町並みだった。。
 歩いていて、とても楽しい町だ。

<タリン旧市街>
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 海も近いということで、街のレストランでは海産物も食べることができた。。

<やはりこの町にも巨大ツリーが・・・タリンにて>
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 そしてついにフェリーで航海する時間が来た。
 思った通りの豪華客船で、船内にはブランドショップやスーパー、バーや広々としたフードコーナー、そしてビップルームなどもあった。。

<船内にあるスーパーマーケット>
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<そしてバー>
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<そしてビップルーム>
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もちろんそれぞれの店に並んでいる物の値段は高いのだろう。。分かりきっていたので、確認はしなかった。。お金がないためにみじめになりそうだったし・・・(笑)

 フードコーナーで比較的安いサンドイッチとコーヒーを買い、ヘルシンキに着くまでの2時間はそれらを食べながら日記を書くのに充てた。。


 ついにヘルシンキに行けるんだ。。

 途中、ルートを変更したり、予定していた町を飛ばしてきたりはしたが、何とかアメリカへ渡る飛行機に間に合うように旅はできたし、中欧や東欧の町並みも程よく観れたし、満足だった。。

 さて、北欧の町というのはいったいどんな町なんだろう・・・。

 フードコーナーの窓から見る外は一面漆黒の闇だった。。
タグ:世界一周
posted by SAMURAIちゃん at 00:00| Comment(2) | 東ヨーロッパ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

弾丸トラベラー<ポーランド編>

 プラハをあとにした僕は、次なる国「ポーランド」へと向かった。

 ここでは以前から、一度ぜひ見たいと思っていた場所がある。
 「アウシュビッツ強制収容所」。。
 1940年から45年にかけて、ナチスドイツによって、労働力の確保、民族浄化という名目の下に大勢のユダヤ人などの収容者が強制労働を強いられたり、虐殺された場所である。

 別に特別な思い入れがあるわけではないのだが、当時どのような事が起こっていたのか、、そんな恐ろしく、悲しい出来事が起こっていた場所をこの目で直接見たかったのだ。。

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 この強制収容所がある町は「オシフィエンチム」(ドイツ名:アウシュビッツ)。。
 プラハからは交通の便が悪く、2度列車を乗り換えなければならなかった。。朝6時11分プラハ発のに乗って、オシフィエンチムに着いたのは14時09分。

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 正直この着いた日にアウシュビッツ博物館(アウシュビッツ強制収容所)の見学ができれば、その夜の便でポーランドの首都ワルシャワまで行ってしまう予定だったが、駅構内のお店でアウシュビッツ博物館の閉館時間を聞くと、15時という答えが返ってきたため、その日は諦めてオシフィエンチムに1泊することにした。

 ひとまずアウシュビッツ博物館の近くの観光案内所でホテル情報とオシフィエンチムの町のマップをもらった。
 町の中心部まで行くのに、いまいちバスの乗り方が分からなかったので、ひとまず徒歩で向かった。。

<オシフィエンチム中心部の様子>
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 この町で泊まった宿は今までに泊まってきた宿の中でも見たことのないような変わった宿だった。
 教会なのか、学校なのか、最後までよく分からなかったが、とにかく大きな建物で、そこでは大勢のクリスチャンの学生??(10代)が集団で生活しているっぽいのだ(すいません、何も調べてないので、本当にテキトーです)。その生徒と思われる10代ぐらいの若者たちは食事も集団で一斉に食べるし、授業があるのか、お祈りの時間があるのか、時折、これまた集団でぞろぞろと廊下を移動したりしているのだ。

 なんとなく「自分はここにいていいのか?」と思わせるような雰囲気だ。

<宿の内観>
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 僕の部屋はというと、外来者用に別館が設けられているみたいで、その若いクリスチャン達とは別のエリアに部屋を借りていた。。とにかくこの建物は広いのだ。部屋はというと、ものすごく綺麗で、一室に3ベッドあり、ドミトリー風になってはいるが、他に誰も客がいないため、完全に1ルーム貸切だ。風呂・トイレにいたっても今までに誰かここを利用したことあるのかなと思わせるほど、ピカピカで快適だった。
 朝は朝食が付くし、思った以上に宿代も安い。


 翌日は当然のごとく、アウシュビッツ博物館を観光した。
 敷地内には何棟ものレンガ造りの2階建ての建物が並んでおり、思った以上に敷地は狭い。
 各建物ごとに違った展示物が展示されており、それぞれが博物館になっている。

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 実際に処刑されている場面を実写ではないが、絵であらわされていたり、収容されていた人々が寝起きしていた場所や、その人々がつけていた大量のメガネや髪の毛、義足、鞄などが山積みにされていたりと、とても生々しい場所もあった。
 この5年間に及ぶ強制収容には諸説あるようで、実際には虐殺はほとんど行われていなかったという説もあるようだ。。実際にそこで虐殺された人々の数は発表元により大幅に違ったりしているし・・・。
 とにかく過酷な強制労働を強いたことに間違いはなさそうだ。

「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」
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 残りわずかの日程の中で、ここオシフィエンチムに1泊を費やしてしまったために、ポーランド観光はコレにて終了になってしまった。
 なので首都のワルシャワも単に乗り継ぎのための中継地点・・・。

 14時10分、アウシュビッツ博物館の前からバスは出発。その後一度「クラコフ」という町で降り(16時05分着)、ワルシャワ行きの列車に乗り換え(17時14分発)、ワルシャワには20時に着いた。。
 途中、アウシュビッツからクラコフに向かう途中のバスの中で見た外気温計は「マイナス8度」?!
 驚愕の事実だった。。

 ワルシャワの次に向かうはバルト3国の最初の国「リトアニア」。

 正直ワルシャワからリトアニアの首都「ビリニュス」までのバスが、その時間帯からあるかどうかもわからず、なかったとしてもその時間帯から、ワルシャワでホテルを探すのも、億劫だった・・・。
 できればその日のうちにビリニュスまで移動したい、、、と思い、バスチケットカウンターであれこれ説明するのだが、英語が全く通じない上に、どの係員も愛想が悪く、「あっちへ行け」と言わんばかりに3回ぐらいたらい回しにされた。。

 クラコフでさえ、英語が通じるツーリストインフォメーションがあるのに、なぜ首都のワルシャワはこんな不親切なんだ・・・。

 本当に頭にきたが、それ以上にその日に移動できないかもしれないという事が僕をとても焦らせた。。

 正直、3回目にたらい回しにされた列でバスのチケットが買える気がしなかったので、誰か英語ができそうな人に、この列で合っているのかどうかを聞こうと、ふと前の女性に英語で呼びかけると、なんとその方は日本人であった。。
 あまりの軽装ぶりに旅行者とは思えなかったのだ。

 だが、詳しく聞いてみると、その方は現在ポーランド人の旦那さんと一緒にワルシャワで暮らしているのだそうだ。。

 「たすかった・・・」

 涙がちょちょぎれそうなほど、嬉しかった。その旦那さんも一緒にその場に居合わせていたので、もちろんポーランド語を駆使してもらって何とかその日のうちにリトアニア行きのチケットをゲット。

 話を聞くと、その夫婦のお二人は、今日別の町の友人宅を訪ねようとしたが、天候か何かの理由で列車が動かなかった。その日の友人訪問はあきらめ、列車のチケットの払い戻しで、窓口に並んでいたのだが、僕と同じようにたらい回しにされ、何時間もここで並んでいるということだ。。ポーランド人にとっても、この係員の態度は頭にきているらしく、今日も並んでいる間に何人ものお客さんが係員とケンカしていったのを見たとの事。。。

 やっぱ、そう思うよね・・・。


 バスが出るまでの間、2時間ほど時間が空いていたので、せっかくだから一杯やろうということになって、駅前のハードロックカフェに入った。。

 お二人のお名前はトメックさん、マリさん。
 トメックさんは日本語がペラペラで、真面目そうで、それでいてとても明るくおもしろい方だった。。一方奥さんのマリさんは僕と同じ名古屋の出身で、久々に名古屋弁で名古屋トークをした。。トメックさんも名古屋を何度か訪れたことがあるらしく、まさかポーランド人の口から「中村日赤」とか「中村公園」とかの単語(地下鉄の駅名)が出てくるとは思わなかった。。。

 とにかくヨーロッパに来て、初めて、、、というか、本当に久しぶりにゆっくりと日本語で話ができて、心底ほっとした。。


 バスの時間が近づいてきたので、店を出ると、トメックさん・マリさんはバス停まで僕を見送ってくれた。。
 今度は名古屋で会えるといいねと、最後に握手を交わし、バス停で別れた。。

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 本当にとてもいい夜だった。。


タグ:世界一周
posted by SAMURAIちゃん at 20:15| Comment(2) | 東ヨーロッパ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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