2009年09月28日

あこがれのカトマンドゥ

 のどからだけでなく、鼻の穴や目からも手が出そうなぐらい、日本食に飢えていた・・・。

 カトマンドゥ(ネパール)では本格的な美味しい日本料理が食べられると、今まで通過してきた町で様々な旅行者から散々きかされていた。
 カトマンドゥに着く直前まで、僕の頭の中は日本食で埋め尽くされていたダッシュ(走り出すさま)

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※カトマンドゥの有名な安宿街「タメル地区」


 真っ白なご飯、具のいっぱい入った味噌汁、漬け物、海苔、なっとう、焼き魚、、豚のしょうが焼き定食・・・

 あぁ、食いたい・・・

 想像するだけで、よだれが出そうだ。

 ダージリンを朝7時頃に出て、ジープでスィリグリーまで下り(約3時間)、そこからはまた乗り合いのミニバンでネパールとの国境に着いた。
 両国のイミグレでの手続きは簡単に終わり、一路ネパールの一番最初の町「カーカルビッタ」のカトマンドゥ行きのバススタンドへ・・・
 両替などを済ませ、バススタンドの窓口でカトマンドゥ行きのバスを調べると、夕方5時に出るという。
 時計を見ると、あと40分、少し遅めの昼食をとりながら、バスを待った。

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※カトマンドゥ行きのバス(カーカルビッタにて)

 ここからは16時間かけての移動だ・・・

 バスは素晴らしい景色の中、山あいの道を縫うようにスルスル走っていった。
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 やがて左手にカトマンドゥの町を見下ろしたとき、日本食が頭の中を駆け巡った。

 カトマンドゥのバススタンドに着いたのは翌朝10時。バスの中で知り合ったスペイン人と一緒に宿を探し、さっそくその足で日本食レストランに直行ダッシュ(走り出すさま)
 とりわけ旅行者の間で有名な「一太(いった)」のカツ丼を食らうことにした。噂によれば、わざわざ日本から日本米を取り寄せ、醤油はキッコーマンの醤油を使っているという本格ぶりだ。
 日本での味を期待してしまうと、それには少し及ばないが、それでもその味にかなり近いところまではきている。

 僕はそれ以来、毎日一食は日本食を食べるようになっていたいい気分(温泉)どの店も美味しく、その中でも「ロータス」というところのカレーライスは気に入った。インドの・・・ではなく、日本のカレーライスが食べられるのだ。値段もお手ごろで、お替りなんかをもらえれば(無料)充分にお腹は満たされる。
 この他にも美味しいサンドイッチ屋があったり、西洋料理屋が充実していたりで、とにかく「食」には困らない街だった。

 カトマンドゥの魅力はそれだけではなかった・・・。

 街歩きが楽しい街・・・。こういう街は意外に少ない。
 カトマンドゥは歴史を感じさせるような、とても古く趣きのある建物が多かった。そして下町の商店街のような通りが迷路のように走っており、そんな通りには大勢の地元民で毎日ごった返していたグッド(上向き矢印)
 非常に活気に満ちていて、ただ歩くだけでもとても楽しかった。

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※旧市街のにぎわい

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※繊細なデザインの木彫り

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※旧市街にて

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※旧王宮周辺
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※ダルバール広場(カトマンドゥ)


 また別の日には宿で出会った人と、少し離れた寺院や郊外の町にも繰り出したダッシュ(走り出すさま)それぞれ、とても良い場所だった。

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※カトマンドゥ郊外の小高い丘にある「スワヤンブナート」のストゥーパ(仏塔)

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※カトマンドゥ郊外のボダナートにある世界最大のストゥーパ
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※マニ車をまわす

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※昼間からビリヤードに良く似たゲームで遊ぶ地元民たち。(ボダナートからパシュパティナートへ向かう途中にて・・・)

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※古都パタンの様子
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 特に気に入った場所は「パシュパティナート」という寺院だ。
 ここへはカトマンドゥの中心からバスで30分ぐらい(?)で行くことができ、ガンジス川の支流であり、地元の人からは聖なる川とされているバグマティ川の川岸にこの寺院はある。
 ここもインドのバラナシと同じように、この川沿いに、とても小規模ではあるが、火葬ガートがある。そして同じくバラナシのように地元民はその川で沐浴もするのだ。

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※火葬場のあるガート沿い
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 遺体が焼かれる、その横を通ったとき、何かがバラナシと違うと感じた。
 遺族たちはみんな大声を出して、泣いているのだ。なかにはあまりにも悲しすぎて、泣き崩れていたり、他の遺族に抱かれ、その胸の中で大声をあげて泣いている人もいた。

 インド人は泣かないが、ネパール人は泣く・・・。国籍以外で、何がどうこの両者で違うのだろう・・・。

 夜7時を過ぎると、またもやバラナシと同じく、ここでもガート沿いにてプジャ(祈り)が始まった。
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※プジャの様子

 バラナシと少し違ったところは、ここではプジャの中盤頃に差し掛かると、近くでプジャを見ていた地元民が数人で、ある一定の場所に固まり、楽しそうに軽快なダンスを繰り広げるのだ。これも神を呼ぶための踊りなのだろうか。
 とにかくとても面白い場所だった。


 かねてからネパールは親日の国だという話も聞いていた。

 客引きではなく、どこかのお店のスタッフでもなく、ただの普通の地元民でも日本語を話す人を何人か見た。これには少し驚きだったあせあせ(飛び散る汗)
 あるとき郊外へ遊びに行き、その帰りのバスで降りるところがわからなくなってしまったときに、一緒に行った日本の方と「どうしよう」と話し合っていたら、急に前の席に座っていたネパール人が日本語で声をかけてきて、日本語でとても親切に降りる場所を教えてくれ、無事宿に着くことができた。とてもありがたかったのと、彼含めその他のネパール人たちも日本への憧れがあるんだろうなと想像してみたら、少し嬉しい気分になった。

 ネパールには日本語学校がある。
 そこで日本語を学ぶネパール人は多いという。話を聞けば、みんな日本が好きという答えのほかに、将来日本に留学したり、日本に渡り仕事をしたいのだという。
 あるときぐうぜん入った喫茶店でラジオが流れていた。チャイをすすりながら、何となしにぼーっと聴いていると、急に日本のポップスが流れ、少しなまった日本語が流れてきた。
 驚いて聴くと、「あなたも日本語を話したいですか?・・・○○(日本語学校の名前)でみんなと一緒に日本語を勉強しましょう。」というようなフレーズが流れた。
 これを聴いたとき、なんとなく親日国なんだなということを納得してしまった。

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※カトマンドゥで出会った新婚さん(旦那さんは日本語ペラペラ)

 こういった要因からもあるだろうが、カトマンドゥの人々はみんな親切でフレンドリーな気がしたいい気分(温泉)
 インターネット屋では少し変わったネパール人の店員と出会った。
 そこで写真をアップロードしようとするたびに、写真を見せてくれ見せてくれと日本語でよくせがまれた。
 2,3枚見せると、もっともっとと、とても写真に興味があるみたいだ。今までの旅の写真をたくさん見せると、とても喜んで、「うしっしっし」とにやけたりする。とても陽気なおっちゃんだった。
 まぁ、悪い人じゃないのは一目瞭然だったが、僕のインターネットの時間を使って、写真を見るのはやめてもらいたい(笑)一度、2時間のうち30分がそのおっちゃんの写真観賞時間だったこともある。
 それでも他の空き時間に一緒に食事に行こうと言ってくれたり(結局タイミングが合わなくて行けなかった・・・)、美味しいネパール料理屋を教えてくれたりととても僕に好意を持ってくれた。
 そのおっちゃんとはメール交換をして、その後の写真も何枚か送ってあげた。
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※そのおっちゃん


 カトマンドゥはどこか日本に近いような、そんな感覚を受けた。

 僕のとてもお気に入りの街のひとつだ。


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ラベル:世界一周
posted by SAMURAIちゃん at 20:26| Comment(2) | ネパール「カトマンドゥ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

雨のダージリン・・・

 ブリマリ(バングラデシュ)から国境を越え、3時間でスィリグリ(インド)の町まで来ることができたダッシュ(走り出すさま)
 そこからは乗り合いジープに乗り換え、標高2100mの町ダージリンを目指す。

 山道を軽快にのぼっていくジープ。1時間半ほど経つと、一度休憩が入った喫茶店
 昼食をまだ済ましてなかったので、近くにある食堂でノンベジタブル・モモ(ぎょうざ)を頼んだ。すると、肉まんが出てきてビックリexclamationとてもジューシーでおいしかった。。

 そこぐらいからだろうか、走るジープの中から外を眺めていると、インド系の顔をした人々に交じって中国系の顔をした人々がちらほら現れるようになった。

 なつかしい・・・

 聞けばチベット人だという。

 そう、ここダージリンは、北はチベット、東はブータン、西はネパールの国境に程近い場所で、ここに集まる人々はチベット人のほかにネパール人、ベンガル人、スィッキム人などと多彩とのこと。
 ここでは6日間滞在したが、全くインド感じさせない、インドの中でも異国情緒あふれる町なのだ。
 この山の斜面に広がる町は、とても風光明媚な場所で、中国の元陽を想わせるような町だった。

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 そして食事に関しても、チベタン料理屋が多く、日本人の僕にはとても口に合い、食事に困ることはなかった。
 またここは名前のとおり、ダージリンティーが有名位置情報とてもおいしいので毎朝のように飲んでいた。

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 ただ雨季であったため、滞在した6日間はひたすら雨が降るか、霧が町全体を覆っていた。そのため、洗濯物は一切乾かず、干しているとむしろ絞ったときよりも水気をおびてくる。

 この町では世界遺産の「トイ・トレイン」に乗ったぐらいで、他には特に何もしなかった。。

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※町中を走るトイトレインの線路

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 それでもこの町の雰囲気はとても気に入った。

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ラベル:世界一周
posted by SAMURAIちゃん at 18:02| Comment(1) | インド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

小さな冒険 〜ダッカからブリマリへ〜

 さぁダッカでお二人ともお別れし、いとしのガイドブックともお別れし、いざインドとの国境(ブリマリ)へパンチ

 あとで考えると、このガイドブックなしの小さな冒険は、今までの旅の中でもかなり上位にくい込むほど、良い旅だった。


 ある場所までの行き方やホテルなど、全て現地の人を頼りに行かなければならないのだが、その現地の人々は僕にとても親切に接してくれた。

 ダッカから、北のブリマリ国境を越えるまでに2日をみていた。
 まずはブリマリの手前、「ラジシャヒ」という北部の中心的な町に行くことに決めた。
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※ラジシャヒの様子

 ラジシャヒにバスが着いたのは、朝方の4時前後で、おそらく宿は開いていないだろうと、バスを降りたところで困惑していると、あっさりと旅行会社の人が事務所で寝なよ、と言ってくれた手(チョキ)
 それから7時頃に目が覚め、さぁ宿を探そうとというときに、僕と同じくダッカから長距離の移動をしてきていた地元民らしき人も同じく事務所で寝泊りをしていて、宿のことを訪ねると、親切に安くて安全な宿だといって宿の名前とそれがある場所を教えてくれた。
 またそれだけでなく、事務所の外に出ると、わざわざ流しのリキシャーをとめてくれ、ベンガル語で行き先を告げると同時に、おそらくローカルプライスであろうリキシャ代まで、安く話をすすめてくれた。
 その人には深くお礼を言い、ホテルへ向った。

 水シャワーを浴び、洗濯をしてからベッドで少し横になった。
 気が付くと昼過ぎで、少し慌てて翌日のバスチケットを買いに行くことにした。
 ホテルの外に出たとたん、ダッカのときと同じように町中の人の視線を感じた。みんな無言で見つめている。その目には何か特別な感情があるわけでもなく、無意識に目をやってしまうのだろう、ただ呆然と、僕の行動の一部始終を見ている感じがした。。
 ダッカのときは3人でいたので、それをまだおもしろがっていられたが、いざ独りになってみると、少し不気味な感じもした・・・。

 バススタンドまでのリキシャ代を交渉している間も、5,6人、人が集まってきて、そのやりとりをじっと眺めている。するとだいたいその中に英語が話せる人が1人いて、僕はその人に通訳をお願いすることになる。
 リキシャに乗っている間にも、スレ違うリキシャや町の人々はもちろんのこと、僕を追い抜いていくリキシャの席からもうしろを振り返って、僕をものめずらしそうに見てくる。そして英語を話す人がいれば、ときおり「ハロー、ハウアーユー?」と声を掛けてくる。

 宿の斜め向かいにある小さな商店・・・。
 僕はクッキーやエナジードリンク、サンドイッチを買うために3度ほどそこを利用した。そこの店主は行くたびに親しく接してくれたし、その周りにいる数人のお客さんは会計の手を止め、もちろん僕を不思議そうにそして笑みを浮かべながら見つめている。
 また宿からそこの店に行く約10m程の距離を歩くだけで、町の人々からの多くの視線を浴びることになるのだ。

 ラジシャヒからブリマリまでは、途中「ロンプー」という町でバスを乗り換えなければならないとの事だった。
 翌朝ロンプーへ向うべく、ラジシャヒのバススタンドに行き、ロンプー行きのバスを探していると、バススタンドの近くの建物の前で腰を下ろして紅茶をすする中年男性に声を掛けられた。
 「まだロンプー行きは来ないからここに座ってしばらく待ちなよ」と促されるままに僕も一緒になって腰掛けた。
 しばらくしてお茶を勧められたので、頂くことにすると、近くで紅茶の露店を構えている少年に一杯頼んでくれた喫茶店

 その紅茶は思ったより美味しく、周りを見ると、バスを待つ人や朝の通勤途中で足を止めている人たちが集まって、その少年のお茶を飲んでいる。
 なるほど、地元の人々が集まる店というのは美味しくないはずがない。それでいて非常に安いものだったりする。

 しだいに僕の周りに人が集まってくる。
 そして、国はどこか、今日はどこから来たのか、これからどこへいくのか、歳はいくつか、バングラデシュはどうだ、等とはじまる。
 僕が答えるたびにみんな笑って納得したようにうなずく。しまいには一緒に写真を撮らせてくれと、カメラ機能付きのケータイを片手に2人の男から言われ、もちろんこちらこそと、こころよく頷いた。

 バスが来ると、みんなで「このバスだ!」と教えてくれ、お茶代を払おうとする僕を制して、「何言ってるんだ、俺のおごりだ」と言わんばかりに当たり前のようにお茶代を払ってくれた。そしてさらに僕の重いバックパックをバスの荷台に乗せることまで手伝ってくれた。
 旅先でこういうことがあると、本当に嬉しくてたまらないexclamation

 バスが出てから笑顔でサヨナラをした。

 朝8時半頃出発したそのバスは、完全なローカルバスで地元では通勤用として利用されているらしく、しかも丁度朝のラッシュ時だったこともあり、バスの中は人でパンパンになっていた。途中で人を降ろしてはまた同じくらいの数の人が乗り込んでくる・・・。
 バスの中では1人の中年男性に声を掛けられた。同じように国、行き先、旅程などを聞かれ、しばらく話していたが、自分の商売の話になり始めたので、僕は少し警戒をし始め、途中からは話半分に受け流していた。
 だが、最後には、ただ名刺を差し出され、困ったことがあれば、ここまで連絡しなよ、といわれ、にこやかに、そしてあっさりとバスを降りていった。
 特にしつこく物売りをせがまれたわけでもないのに、少し冷めた態度で相づちを打っていた自分に少し反省した。

 午後2時を過ぎた頃、バスの運転手に促されるように、降りた場所はロンプーではなかった。
 とにかく焦った・・・

 今日中にインドの「スィリグリ」というバングラデシュを抜けてから一番最初の大きな町まで行く予定だった。
 ダッカで見たガイドブックにはブリマリ近辺には宿がないのでブリマリからインドへ抜ける場合は、ブリマリよりも80km手前の「〜〜」という町で一泊したほうが良いと載っていたのは記憶していたのだが、どうあがいてもその町の名前を思い出せないばかりか、地図的にどの位置にあるのかさえも分からなかった。なのでとりあえずラジシャヒからは1日で国境を越えてしまおうと思ったのだ。

 なので僕には時間がないあせあせ(飛び散る汗)
 もしブリマリには着いたが、イミグレが閉まっていたためにボーダーを越えられなかったということになれば、また宿がある場所まで何十kmと戻るか、もしくは野宿である。それは避けたかった・・・
 だが、ラジシャヒでロンプー行きのチケットを買った際、カウンターの人が今日中に越えられると教えてくれたのは間違いない。・・・ん、ブリマリまでは行けるって言ってたんだっけ・・・。

 ま、とにかく時間がなかった・・・
 一気にインドまで行ってしまいたかったのだ!

 「ロンプーはどっちだ」と半ばイライラしながら、ときには走り、ときには怒鳴り散らしながら、そこら中手当たり次第に聞いた。だが、英語が全く通じない。なので僕と彼らの共通語は「ロンプー」そして「ブリマリ」だった。

 「ブリマリッ、ロンプーッ」などと言い散らしていたら、そのうちわかるようになってきた。
 どうやらここからロンプーまでリキシャで移動しなければならないらしい。そう遠くはないようだ。今日のバスがあるかどうか心配ではあったが、とにかく急いでロンプーまで走ってもらった。

 ロンプーのバススタンドには20分ほどで着いた。
 すると近くにはブリマリ行きのバスが留まっており、すぐに出るという。
 なんとかブリマリ行きのバスに間に合い、一安心していると、またバスの中では一人の男性と仲良くなることが出来た。

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※バスのなかにて

 その人もまたとても親切な方で、休憩所にとまるたびに、飲み物はいるか、タバコはどうだ、腹が減っているならここで食べるといい、といろいろ気づかってくれ、バスが再出発しようとすると、わざわざ知らせてくれたりした。
 そしてそのそれぞれの休憩所でただタバコを吸っているだけで・・・、ただチャイを飲んでいるだけで、同じように僕の周りには多くの人々が集まってくる。
 ダッカよりもさらにローカルな場所のため、ダッカ以上にツーリストの数は減り、その分地元民の眼差しは強かった。。ブリマリの手前の村で休憩をとった時には今までに見たことのないほどの人垣が出来ていた。。
 いや、これはすでに自分のことを芸能人なのではないかと錯覚させるのには充分なほどの数だった。

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 んー、全く悪い気はしない。。

 するとそのバスで仲良くなった男性は僕の手を引っ張って、ゆっくり休めないでしょ、こっちへ来なと言わんばかりに誘導してくれる。

 え、マネージャー??

 そしてその僕の後ろを大勢のオーディエンスがぴったりくっついてくるのだ。そのオーディエンスの9割がおっちゃんで構成されているのが、少し残念だったが、それでもとても特殊な体験が出来ておもしろかった。てか、少し得意気になっていた・・・

 しばらく田舎道を走り、バスの終点で降ろされた。。
 そしてそこも前回と同じくブリマリではないという・・・。

 またか・・・

 時計を見ると午後6時をゆうにまわっている。

 その気使い上手なマネージャーが言うには、リキシャでここから国境まで行けると言う。そのマネージャーは当然のように近くにいたリキシャに値段交渉をしてくれ、ベンガル語で行き先まで伝えてくれた。
 最後には同じように名刺をくれ、困ったら、ここに連絡しなといい、そこで彼とは別れた。

 ホントに何から何までありがとう、マネージャー・・・

 正直言えば、もうこの時点ですでに今日中の国境越えは半ばあきらめていた。この時間にはもうイミグレはやっていないだろう・・・
 かといって、絶望的な気持ちにはなっていなかった。これだけ多くのバングラデシュ人にたくさんの親切をいただいて、むしろ感動すらしていた。

 それでもかすかな可能性を求めて、国境へ向ってもらった。
 バススタンドから数分も走ればすぐに民家は途切れ、線路沿いのすぐ横を走るといったおもしろい道に出た。両脇はちょっとした林になっており、ところどころに民家や小さな商店がぽつぽつとあらわれる・・・その線路に腰掛け、ただぼーっとしている人やお茶している人、その線路上で遊んでいる子供たちもいた。
 のどかだな〜〜。
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 この国境までの1時間のリキシャに揺られているうちに、今日中の国境越えなんてどうでもよくなってしまった。。
 なぜならそのリキシャに揺られている間、その日を締めくくるのに最もふさわしい風景に出逢えたからだ。

 並走していた線路とも途中で別れると、今度は果てしもなく続く田園風景が道の両脇一面に広がった・・・

 それは思わず声を失ってしまうほどの美しさだった。

 一直線に続く道はちょっとした並木道のようになっており、その木と木の間隔はとてもひろかった。その木々の間から、無限に広がる田園風景が見え、そこでは牛やヤギが草を食べている。
 左に目をやれば先ほど別れた線路が遠くで並走している。

 車はほとんどなく、ときおり自転車やリキシャが静かにすれ違い、静かに僕を追い抜いていく・・・そしてみんな僕を不思議な眼差しで振り返り、ときおり英語で、ときおりベンガル語で挨拶を交わしていくのだ。

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※この2人はしばらく僕らに並走しながら、ずっと話をしてきた(笑)


 静かに流れる景色を心地よい風が通り抜ける。
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 また線路に目をやれば、静かに音を立てながら一本の列車がゆっくりと僕らを追い抜いていった。
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 そして大きな夕日が辺りを真っ赤に染めた。
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 結論から言えば、結局その日は国境を越えることは出来なかった。だが、そういった国境を越えられなかった人々のための施設なのだろうか、イミグレの人に紹介された、国境より1km手前の宿に泊まることが出来た。。

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※ブリマリ国境近辺はこんなにのどか!

 とても忘れられない1日になった。

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※みんな写真が大好きだ
ラベル:世界一周
posted by SAMURAIちゃん at 23:55| Comment(1) | バングラデシュ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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